MediuM

気を使える人は、強運です☆

 

 

名もなきはるか彼方から代々続く先祖たちへ。

愛と感謝を込めて☆

 

今、こうしてあれるのは、

過去を築き上げてくださった

すべての先祖をはじめ家族、両親のおかげです。

 

 

お盆休み、迎え火をすると

翌朝、

 父方の曽祖父をみました。

 

 

 

慶応で学び新聞記者になった曽祖父・・

どのような人だったのだろうと思いました。

 

 

 

儀式をしました。

 

祖母がくれた

ボロボロになった小さな観音経。

 

「最も強いお経だと母がくれたのよ。英之ちゃんにあげるわ。」と。

 

 

先天性・後天性霊感能力があります。

 

僕は、先天性霊媒・ミディアムです。

 

昔、病気&セクシャリティーのNPO法人の方に話し

仰られた事を聞いて

改めて気づきました。

 

 

 ”日本と海外を半分ずつ経験してて

島と大陸を知っている君は

ゲイで・・その中でも男性と女性の中間性、

病気と健康の中間世界、

中庸の波動・・・

境界線を生きている濱中さんは、ミディアムだね。

 あまり聞かない領域だよ。

僕はこれからの君がどのような体験をするんだろうと思うと楽しみだな。

中性の視点から伝えるのよ”と。

 

 

祖母の会いに行くと

子供のころの入院の記憶がよみがえってきます。

 

 

面会を終えた人が病院を出て目にする風景と

入院をしていた人が退院して目にする風景・・・

 

イミグレのような

はっきりとした境界があって

行ったり来たりできる選択の自由があれば

なんてことないのかもしれませんが

選択がないと、特別に感じるのではないかなと思います。

 

6歳のころ、髄膜炎になり聖マリアンヌの小児課病棟に入院しました。

 

 

最初の頃は安静度5でした。

 

安静度3になるとベットから降りて歯噛みがしに行くことが許されました。

 

安静度3~2になって、また5になってと

行ったり来たりでした。

 

朝ごはんはパンかおかゆかの選択があって

僕は断然パンでした。

 

隣のお兄さんは

いつもおかゆをおいしそうに食べてました。

 

梅干しのジャムがついたおかゆを食べれるようになりました。

ある時、ベットのインタホーンで呼ばれました。

 

お兄さんが”頑張るんだよ、痛いぞ~”と。

 

呼ばれた部屋に行くと、

3人の看護師さんに抑えられ

パンツを鵜がされました。

 

その当時、僕は蒙古斑が濃くありました。

まだあります。

 

  

お医者さんが「この子、6歳なのに蒙古斑あるんだ。変ってる。」と

いったのが聞こえました。

 

脊髄注射で

泣き叫びました。

 

終わると、

優しかった看護師さんと部屋に戻りました。

 

 

 

それから目まぐるしく、体調がよくなりました。

 

 

 

 

ベットではねて遊べるようになり

お散歩ができるまでになりました。

 

車いすに乗って

病院内の丘のようなところに行きました。

 

 

それから退院できる日がやっと来ました。

 

 

洋服に着替え、部屋を出るとき

部屋にいた友達は、よかったねとみな笑顔でした。

 

最後に入った僕が、最初に部屋を出ました。

 

 

 

母と手をつなぎながら

ロビーに降りるとそこには大きなマリア像がありました。

 

やっと帰れる・・・

 出口に向かうと声が聞こえました。

 

「思う存分、外の世界で生きなさい。・・・

一生懸命過ごしなさいね。」

 

誰?と振り向くと、マリア像が見えました。

 

病院を出ると美しい夕暮れ時でした。

光がほほを撫でました。

祖母の面会を終えると

美しい憧れの外に僕はいるのだと

感じるのでした。

 

 

今過ごせることを大切に

感謝を忘れないようにしなくては・・・

バスを待ちながら、そう思うのでした。

 


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