あなたは、”いい人”で在りたいですか?

 


”愛される人”で在りたいですか?

老衰期に入った祖母。

 

こまめに連絡しては、様子をうかがいに行く父と母。

 

ドライブ、お蕎麦屋さん&クリニックに連れて行ったり、

毎週会いに行く叔父家族。

 

連絡を取り合いながら

支える母と叔母。

 

お正月には、必ず遊びに行く

遠くに住む叔父家族。

 

美しいお花を届ける従姉夫婦。

 

お休みに姪や甥を連れて遊びに行く姉家族。

 

僕は何ができるのだろう…そう感じたことがありました。

 

祖母のカット&シャンプーをしていました。

ご飯を作って一緒に頂く時間。

 

 

祖母が何よりも望んでいることを、皆わかっています。

 

満たしてあげることができないことを

知っているから

辛いのです。

 

 

祖母は、聴いてほしいのです。

祖母との対話で

よく浮上する言葉があります。

 

”我慢”&”辛抱”。

 

この前尋ねました。

「一生を振り返ると、おばあちゃんの人生は我慢だった?

それとも、辛抱?」と。

 

祖母は、しばらく考えてから

「我慢も辛抱も一緒でしょう?」と。

 

字が違うように意味も違いますね。

 

「どちらなのかな?」そう聞くと、

「我慢だわ。」と。

祖母には、子供のころからの夢がありました。

 

小さいころから文才があると評判だったと。

少女小説を書くような女流作家になりたかったのだと。

 

「目を光らした、気難しい姑に口答え一つせず、

一生懸命好かれるようにしても

最後の最後まで

”ありがとう”とは一言も言ってくれなかった。

そんな変わった姑がいる中、

自分の家族をネタにしたような小説なんて書けなかったわ。

おじいちゃんは、いづれ二人で旅行をしよう。

今は我慢してくれといっていた。」

 

祖父は、

曽祖母よりも先に亡くなりました。

 

「感謝の一言に尽きるよ。

息子三人が立派に育ち、

お嫁さんは、皆良い人で

誰かしら、孫やひ孫までもが会いに来てくれて。

誰一人病気もせず、皆優しく育って。

今、幸せなのは、

我慢したからなのよ。」と。

我慢の先には、爆発があって

 

辛抱の先には、希望があるのだとか。


あなたは、我慢していますか?


辛抱していますか?

きっと、祖父が亡くなって

祖母は、爆発してしまったのでしょう。

 

時間が止まってしまったようです。

 

何度も聴いた複雑なお話。

「おばあちゃん、聴いたよ。知っているよ。」そういうと、

とても驚いた顔をします。

「あら、言ったかしら?どういう話か言ってみて。」と。

 

要約してそのお話をすると、

家系図の迷路のような同じ話を繰り返すのでした。

 

そんな祖母に尋ねました。

「自分のことを犠牲者だと思ったことはある?」と。

 

「若いころは、ずっとそう思ってたわね。

好きな事が、何一つできなかったんだよ。

人の世話・・・姑には毎日怒られて。

かわいい息子たちのことより何よりも

姑が怖かった。」

 

 

あなたは犠牲者ですか?

 

被害者としてずっと生きることに、惹かれますか?

Earth Angelという言葉、ご存知ですか?

 

Earth Angelは、共感能力が高く、感受性が豊かです。

人の気持ちが手に取るようにわかるため、

境界線といった概念が余りありません。

 

天に繋がっているため、

コミュニケーションは、飛んでいます。

 

地に深く根付くことが、テーマです。

天に繋がる事では、ありません。

 

健やな人生を送っている人に、惹かれません。

 

傷を負い、問題のある人のお役に立つことに惹かれ、

それが目的だと勝手に思い込んでいます。


人を助ける行為というのは、

場合によって、その人の学ぶチャンスを奪います。

 

earth angelが、 陥りやすいのは、

人のためと思って行う行為に蝕まれ

”犠牲者中毒”になることです。

 

行いの根源が、義務&存在意義、

いい人、出来る人&凄い人と思われたい等・・・欲求の場合

その本質は、ネガティブな”力”で

不満&愚痴に繋がります。

 

源が、愛である場合、

犠牲&被害者になることは、ありません。

境界線というのは、靴や衣服のように

守るものですね。

 

素足で繋がりたい美しい砂浜や大地でないのであれば、

本人&周りにとって

境界線をはっきりすることは

真の思いやりです。

祖母の深い傷は、幼少の時

実の母から受け入れられていないと、

体全身で感じてしまった事なのでしょう。

 

その分、曽祖父から愛されていたと。

曽祖母もその当時の

最高の箔といった形で祖母を愛したのでしょう。


 祖母が一番聴いてほしかった人は

2人の曽祖母達だったのかもしれません。

 

あなたは、母から受け入れられていると

幼い頃、感じましたか?

 

不安がありましたか?

 

もし、包み込まれなかったのであれば、

それに伴う、恐れ&心配のフィルターが、

その後のすべての出来事を、

曇らせているのでしょう。

 

拒絶感は、亡霊のように一生付きまといます。

どのような素晴らしいことがあっても、満たせなくします。

 

 そのくらい、”母”は大きいのですね。

 

その深い傷に気づいて、

 癒そうと思うのであれば

幸運です。

祖母とのカルマ。

 

一番最近の前世、祖母は僕の母でした。

祖母は、女性として

目立たないように心がけていました。

 


 娘であった僕とは、真逆でした。

 

母親より先に亡くなった僕は、

娘であった姪&従姉であった母とのつながりが強かったのです。

世話好きな優しい祖母でした。

 

小さいころから身近だった祖母は、

別れ際、いつまでも手を振っていました。

角を曲がるまでずっと。

内心思っていました。

「おばあちゃん、家に入ってくれて良いのに」と。

何度振り返っても手を振っていた祖母が、

門から階段までになって

ドアの前までになりました。

 

祖母は、祖母の母達にしてほしかった&してもらったことを

一生懸命して、与えてくれたのです。

ここ最近の祖母との時間は、様々な感情が体を通り抜けます。

 


「英之ちゃん、色々してくれてありがとうございました。」

何度もそう言っては

美しいお辞儀をします・・・


どんどん小さくなる祖母をみると

こみあげるもの&

 何かが流れ出るような感覚も・・・

 

「我慢では、ないのよ。

愛される人になりなさい。

正しい自己出張ができる人になりなさいね。」

 

そう、祖母は教えてくれている気がします。

人は、母性愛を求めます。

今、全ての人に、

求められているのではないでしょうか?

 

そのためには、わけ隔てない

健やかな男性性&父性愛が絶対的に必要です。

 

祖母へ、愛をこめて☆

 

母達へ、心から感謝しています!

 

 

そう感じた、母の日でした☆


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